
「こんなことで傷つく私が、おかしいんでしょうか」──親の介護をしている人から、私はこの質問を何度も受け取ってきた。
夜、就寝前の服薬を確認しに行く。今日は3回も電話があって、そのたびに「さっき飲んだか忘れた」と言う母に説明する。やがて母は、指摘されたことすら忘れて「ごめんね」と謝る。責めたいわけじゃないのに、胸が締めつけられる。そんな自分を、また責めてしまう。
この記事は、認知症の親の言動に傷つき、自分を責めてしまうあなたが抱えている誤解を、一つずつ解いていくために書いた。傷つきを「なくす」話ではない。傷ついた事実を、相手の症状とは別の場所に置いておくための話だ。
Q1. 親に傷つけられて落ち込む私は、心が弱いんでしょうか?
結論から言えば、傷つきは弱さではない。むしろ、あなたがその相手と関係を続けている証拠だ。
どうでもいい相手の言葉では、人は傷つかない。傷つくのは、相手とのあいだに「分かり合いたい」「通じ合いたい」という生きた回路がまだ残っているからだ。心理学では、近しい相手への期待と現実のズレが大きいほど痛みも大きくなることが知られている。つまりあなたの傷は、愛が足りない証拠ではなく、関係が今も続いている証拠なのだ。
母の取扱説明書が欲しい。なんでこんなこと言うんだろうって、毎回打ちのめされちゃう。
打ちのめされるのは、毎回ちゃんと「関わろう」としているから起きる。関わるのをやめた人は、打ちのめされない代わりに、もう傷つくこともない。あなたは、傷つくほうの道を選び続けている。それは弱さの反対側にあるものだ。
Q2. 相手は忘れるのに自分だけ傷を抱えるのは不公平。これは私の心が狭いから?
不公平だと感じるのは正しい。実際に、構造が不公平にできているからだ。
ふつうの人間関係では、傷つけてしまっても「謝る→相手が水に流す→関係が戻る」という修復が成り立つ。ところが認知症介護では、傷つけた側(親)が出来事ごと忘れてしまい、傷ついた側(あなた)だけが記憶を持ち越す。
傷つけた側だけが忘れ、傷ついた側だけが記憶を抱える——この非対称は、あなたの心が狭いからではなく、症状の仕様、つまり脳の機能の問題です。だから傷が消えないのは当然で、あなたは正しく反応しています。
怒りが爆発して「話も気持ちも通じない人間になっちゃった」と怒鳴り、物を投げてしまう。数時間後、「こんな娘でごめん」と電話で謝る。けれど母は、怒鳴られたこと自体を覚えていない。両方の記憶を抱えているのは、いつも自分だけ。
この罪悪感はどう処理すればいいか。謝罪や説明をしたあとに、心の中で一度だけこう言い直してほしい。「これは私の心が弱いからではなく、修復できない構造だから残るんだ」と。認知行動療法でいう「自動的に浮かぶ自分を責める考え(自動思考)」を、事実の説明に置き換える練習だ。自責の言葉を、症状の説明に翻訳する。それだけで、痛みの置き場所が変わる。
Q3.「理解できてしまう」私は、なぜ余計につらいの?
共感力の高い人ほど、介護で疲弊しやすい。これは本当だ。
相手の気持ちが「分かってしまう」人は、相手の感情を自分の中に取り込んでしまいやすい。心理学ではこれを過剰な同一化(相手と自分の感情の境目が溶けてしまうこと)と呼ぶ。母の不安も、申し訳なさそうな表情も、全部受信してしまうから、背負う量が増える。
退院翌日に訪ねてきた母の友人が、マシンガントークで「痩せてるけど食べてるの?」と無配慮に言う。母を心配しての言葉だと分かる。分かるからこそ、自分が責められている気がして、玄関先の笑顔がこわばる。理解できる力が、そのまま疲労に変わっていく。
嫌われてるって感覚におそわれて、耐えられずに予約しちゃった。
「他人だと思う」のは冷たい人間ということ?
そうではない。「他人だったらもう少し楽なのに」という感覚は、冷淡さではなく、自分を守るための健全な距離化(脱同一化=相手の感情と自分の感情を分けて置くこと)だ。引き受けすぎる人が、無意識に取ろうとしている安全装置だと考えてほしい。距離を取ることは、関係を捨てることではなく、関係を続けるための呼吸の仕方だ。
Q4. 傷ついたと感じる自分を責めないコツは?
コツは、傷つきを「なかったこと」にしないことだ。むしろ逆で、傷を記録して持ち越す方向に切り替える。
夜、傷ついた出来事と気持ちを、一行だけメモに書く。このとき、母の言動と自分の感情を、別の行に分けて書くのがポイントだ。
- 今日、母から3回電話。母は飲んだことを忘れて謝った。(=症状)
- 私はそれを見て、つらかった。胸が締めつけられた。(=私の感情)
消すために書くのではない。持ち越すために書く。症状の行と感情の行を分けることで、「母の病気」と「私の痛み」が別物だと、頭ではなく手で確認できる。両方を一緒くたにすると、「傷つく私がおかしい」という結論に流れてしまう。切り分けて置けば、痛みは痛みのまま、責めずに残せる。
もう一つ。「割り切る」「傷つかない」を目標から外してほしい。代わりに、一日の終わりに「今日傷ついた事実を一つ認める」を習慣にする。傷を否定するのではなく、正当化する方向へ。あなたの傷には、認められる資格がある。
Q5. 周りに「あなたが優しいから大変なのよ」と言われると、なぜ逆に苦しいの?
消耗の核は、介護の量そのものよりも、大変さを分かってくれる人がいない孤立にある。
月1回のケアマネ面談の帰り道。事務的に線を引かれ、話が食い違い、愚痴も受け止めてもらえないまま終わる。家に着くと、玄関で動けなくなる。そこで初めて気づく。慰めが欲しかったんじゃない。「大変でしたね」の一言が、ただ欲しかっただけなのだと。
事務的な対応への怒りは、慰めではなく“情緒的承認”——傷ついた事実をそのまま認めてもらうこと——を求める正当な欲求の裏返しです。「優しいから大変ね」が苦しいのは、それが承認ではなく評価にすり替わっているからです。
「優しいから」は、あなたの性格を採点している。でもあなたが欲しいのは点数ではなく、「その出来事は、つらかったね」という事実の受け止めだ。評価は、傷の隣を素通りしていく。
理解されない相手と、どう距離を取ればいい?
相手に通じ合いを期待しすぎないことと、自分から欲しいものを翻訳して渡しておくことの両方が効く。話す前にこう伝えてみてほしい。「慰めてくれなくていい。大変だったって、そのまま聞いてくれるだけでいい」と。情緒的承認は、黙っていても届かないことが多い。あなたが先に、欲しい形を言葉にして手渡しておく。これは甘えではなく、孤立から自分を引き上げる技術だ。
Q6. じゃあ私は、何を目指せばいい?
目指すのは「傷つかなくなること」ではない。「傷を持ち越して整理できる人」になることだ。
癒せていたと思ってたのに、実は私、ずっと癒せてなかったのかな?
癒せていなかったのではない。修復が成立しない相手と、それでも関係を続けてきた、というだけだ。傷が残っているのは、あなたの努力が足りなかったからではなく、構造がそうできているからだ。
ここで、ケアする側のあなた自身にも記録の場所をつくってほしい。週に一度、「私も頼りたい」「甘えたい」という自分の欲求を、一つだけ書き出す。夫が母宅に通い続けてびらん性胃炎になった夜、罪悪感の上に「本当は私も誰かに頼りたいのに」という言えない気持ちが重なる。その気持ちも、消さずに記録していい。ケアする人の感情にも、置き場所が要る。
最後に、怒りと自責のループから抜けるために、今夜できることを一つだけ挙げておく。
傷ついた夜、メモにこう書く。母の言動を一行。自分の気持ちをもう一行。別々に。そして「これは構造のせいで残る痛みだ」と一度だけ言い直す。それから、ノートを閉じる。
傷つかない自分になる必要はない。傷ついた事実を、症状とは別の場所に書き留めて、明日へ持ち越す。それが、終わりの見えない介護の中で、あなた自身をすり減らさずに続けるための、回復のかたちだ。傷つくあなたは、おかしくない。今日も、ちゃんと関わっている人の反応をしている。
※この記事は情報提供を目的としたもので、医療的・心理的な個別判断に代わるものではありません。つらさが続くときは、地域包括支援センターや専門の相談窓口、医療機関にご相談ください。

初回カウンセリング申し込み
登録8日目以降は月間240分 月額¥19800に自動移行。
解約はいつでも可能です。
Stripeの安全な決済画面に移動します
すでにご登録済みの方
ログイン・マイページはこちら