SNSのいいねに疲れた|承認欲求と自己肯定感を戻す

SNSのいいねに疲れた|承認欲求と自己肯定感を戻す

投稿して数分後、通知欄を開く指が、まるで判決を聞きに法廷へ入る被告のように緊張しているとしたら——あなたは無意識に、自分を誰かの裁定にかけています。この記事は「承認欲求を減らしましょう」とは言いません。減らすべきは欲求ではなく、価値の判定を他人に発注してしまう契約そのものだからです。

「いいねが増えれば安心、減れば落ち込む」——その安心はどこから借りているのか

いいねが伸びた日は自分がまともでいられる気がする。少ない日はなんとなく敗北感が残る。この上下動は、あなたの気分が不安定だから起きているのではありません。安心の供給源が、外にあるから起きています。

いいねが伸びると、その日一日は自分がまともな人間でいられる気がするんです。でも次の日リセットされて、また稼がなきゃって焦る。安心を毎回借金して返してる感じ。

「借金」という表現が正確です。手元で作れる安心ではなく、外から借りてくる安心は、返済期限が翌日に来ます。心理学ではこれを承認の外在化(自己肯定感の供給源が他者評価に偏っている状態)と呼びます。ここで見落とされがちなのは、これが「承認欲求が強すぎる」というの問題ではないということです。問題は量ではなく、価値を判定する権限を自分の外へ渡してしまっている構造にあります。

投稿ボタンは「発表」ではなく「採決の発注」になっている

投稿ボタンを押した直後、まだ通知は一件も来ていないのに、スマホを伏せて置く。5分後、無意識に画面をこっそり裏返して数字を確認し、また伏せる。この「確認して伏せる」を十数回繰り返しているうちに、夜の一時間が溶けている——心当たりがあるでしょうか。

この落ち着かなさは、投稿という行為が二つの意味を同時に背負っているせいで起きます。

  • 発表——見せる、共有する、記録する
  • 採決の発注——採点してほしい、優劣を裁定してほしい

見てほしい気持ちはあるんです。でも見てほしいと採点してほしいが、いつのまにか同じものになってて、区別できなくなってました。

多くの人はこの二つを一体だと思い込んでいます。けれど実際は切り離し可能です。投稿ボタンを押した瞬間にあなたが起動させているのは、単なる発表ではなく、「わたしの価値を採決してください」という発注のほうです。だから通知欄が法廷の入り口のように感じられる。被告が判決を待つときの緊張と、通知を開くときの緊張が、構造上そっくりなのです。

そもそも、あなたは誰に判定を頼んだ覚えがあるのか

電車のなかで自分の投稿を開き直し、いいねを押してくれた人の一覧を上から順にスクロールする。誰が押して、誰が押していないか、名簿を点呼するように確認している。ふと「これは採点結果の答え合わせだ」と気づいてぞっとする。

ここで一度立ち止まってほしいのです。あなたは、その人たちに採点を頼んだ覚えがありますか。

誰の評価がそんなに大事なのって聞かれると、実は顔も名前も知らない人が多くて。よく考えたら、私その人たちに何も頼んでないのに、なんで勝手に採点されてるんだろうって。

あなたが起動させているのは、いわば無記名・無資格の陪審制です。顔も名前も知らない不特定多数が、あなたの価値について判決を下す。しかもあなたはその陪審員を選んでいないし、彼らの資格を審査してもいない。にもかかわらず、下された判決には従わされている。改めて眺めると、これはずいぶん奇妙な契約です。

「いいねが多い=良い自分」が、なぜ「少ない=ダメな自分」を拒否できなくするのか

数字が少なかったとき「まあいっか」と思おうとしても無理だ、という声はとても多いです。

数字が少なかったときに『まあいっか』って思おうとしても無理なんですよ。少ない=ダメって、もう自動で判決が出ちゃってて、それを自分では取り消せない。

取り消せないのには、はっきりした理由があります。プラスの判定を受け取った瞬間に、マイナスの判決を拒否する権利も同時に手放しているからです。

「いいねが多い=良い自分」という等式を一度受け入れると、その裏側にある「いいねが少ない=ダメな自分」も論理的に自動成立します。片方だけを受け取り、片方だけを拒否することはできません。伸びた日の高揚を歓迎した時点で、伸びなかった日の敗訴も引き受ける契約にサインしている——この非対称の不可能性に気づくことが、契約を見直す入り口になります。

会心の写真を上げたのに伸びが鈍い日、シンクで皿を洗いながら「今日の自分、価値が低い日だったな」という根拠のない敗訴感だけが体に残る。あの感覚は、あなたが弱いからではなく、プラスを受け取った代償として発生しているのです。

判定を発注しない投稿は可能か——「見せる」と「採点してもらう」を切り離す

ここからが回復の実践です。ポイントは、SNSをやめることでも投稿をやめることでもありません。発表と採決の発注を、意図的に切り離すことです。

投稿前に、種類を宣言する

公開ボタンを押す前に、心の中で一言、「これは発表であって、採決の発注ではない」と宣言してから投稿します。認知行動療法では、自動的に起きる思考の前に意識的な言葉を差し込むことで、反射のパターンを弱める練習をします。言葉にした瞬間、投稿の意味が「採点してもらう」から「見せる・残す」へ静かに置き換わります。

下書きで止まったときの見分け方

文章は完成しているのに、投稿ボタンの上で指が三日止まる。「これで数字が出なかったら、この気持ちごと否定される」と感じるとき——止めているのは文章の質ではなく、採決の発注をためらう気持ちです。発注をやめれば、公開はただの発表に戻ります。否定される判決自体が、そもそも発生しなくなるのです。

委任契約を解除する具体——数字を「情報」に格下げする

判決を自分の手に戻すために、生活の中で試せる小さな手順をいくつか挙げます。どれか一つで構いません。

  • 数字を「総和」でなく「個別の情報」で読む。「いいね23」という合計を眺めるのをやめ、「この人が反応してくれた」という一件ずつの事実だけを拾います。順位も増減も計算しません。合計は判決を、個別は情報を運びます。
  • 投稿後30分は通知バッジと数字を非表示にする。多くのアプリで設定できます。判決を聞きに行く反射を、まず物理的に遮断してタイムラグを作る。これは衝動と行動の間に距離を置くコーピング(ストレスへの対処行動)の一種です。
  • 判決文と情報を紙で仕分けする。いいねが少なかった投稿を一つ選び、「これはわたしの価値が低い証拠か、それとも表示アルゴリズムや投稿時間帯の情報か」と書き分けます。可視化すると、判決に見えていたものの多くが単なる情報だったと分かります。
  • 採点者のいない発表を一日一回作る。誰にも見せないメモアプリや日記に、いいねを前提としない文章や写真を残します。反応が返ってこない場所で何かを表現する感覚を、体で思い出す時間です。

友人が自分より少ない投稿数で何倍もいいねを得ているのを見て、反射的に「じゃあ私の方が下だ」と結論を出しかける。そんなとき、いつ・誰にその優劣の裁定を頼んだのかを思い出してみてください。頼んだ覚えのない裁定には、従う義務もありません。

SNSと距離を置けば自己肯定感は戻るのか、自分軸はどう育つのか

「SNSをやめれば楽になりますか」とよく聞かれます。距離を置くことで一時的に反射は止まりますが、それだけでは判定を発注する契約は解除されていません。別の場所で同じ委任を繰り返すこともあります。大切なのは、SNSがあってもなくても、価値の判定権を自分の手に置いておけることです。

他者評価に頼らず自分軸で自己肯定感を育てるとは、数字を絶対的な自己価値ではなく「届いた事実の記録」として読み替えることに近い作業です。人より優れているという相対順位でしか安心できない読み方から、いいねを「この投稿がこの人に届いた」という事実の記録として読む練習へ。この一件ずつの読み替えが、比較の連鎖を少しずつゆるめていきます。

疲れの正体は、反応の量ではありません。判定権を手放し続けている状態そのものが、あなたを消耗させています。いいねを見ないようにする必要も、投稿をやめる必要もありません。数字を情報へ格下げし、判決を下す権限を自分の手元に戻す——その一点だけで、通知欄はもう法廷ではなくなります。

SNSのいいねに一喜一憂して疲れたと感じているあなたは、承認欲求が人より強いわけでも、自己肯定感が足りないわけでもありません。ただ、頼んだ覚えのない裁定にずっと従い続けていただけです。契約は、あなたの側からいつでも見直せます。今日の一投稿から、それは発表なのか採決の発注なのか、静かに宣言してみてください。

心理士・カウンセラー 中村 翔
監修中村 翔心理士・カウンセラーカウンセラー紹介を見る ›